
Detroit Pistons
デトロイト ピストンズ
チーム情報
アリーナ所在地
リトル・シーザーズ・アリーナ
アメリカ合衆国、ミシガン州、デトロイト市、フランクリン通り2645番地
〒48201
収容人数
21,000人
アリーナ公式サイト
https://www.313presents.com/
ロゴについて
1948年 – 1957年
チームがフォートウェイン・ゾルナー・ピストンズとして活動していたこの時期、ロゴはバスケットボールをドリブルする金属製のバスケットボール選手を描いていました。選手の胸には「Z」の文字があり、これは創設者フレッド・ゾルナーの名前を示しています。
1957年 – 1971年
デトロイトへの移転後、チーム名がデトロイト・ピストンズに変更され、ロゴも一新されました。このロゴはバスケットボールを背景に、上部に「DETROIT PISTONS」、中央に「BASKETBALL CLUB」、下部に「NATIONAL BASKETBALL ASSN.」の文字が配置されていました。
1971年 – 1975年
ロゴはさらにシンプルになり、バスケットボールと「DETROIT PISTONS」の文字のみが描かれるようになりました。
1975年 – 1979年
ボールの輪郭が太くなり、下部のテキストが「NBA」に変更され、文字色も muted orange に変更されました。
1979年 – 1996年
この期間のロゴは、赤いバスケットボールの中央に「DETROIT PISTONS」の文字が配置され、外側を青いリングが囲むデザインでした。
1996年 – 2001年
ロゴは大幅に変更され、馬の頭部と「PISTONS」の文字が組み合わされたデザインとなりました。馬のたてがみには炎が描かれ、文字の一部は車の排気管を模したデザインになっています。
2001年 – 2005年
色合いが変更され、黒、黄色、ターコイズから、青、赤、ライトブルーが主体となりました。
2005年 – 2017年
馬の頭部を含むデザインは人気が低かったため、2005年に再びシンプルなバスケットボールとチーム名を組み合わせたデザインに戻りました。
2017年 – 現在
1979年のロゴをベースに、現代的な要素を取り入れたデザインが採用されています。赤いバスケットボールに「DETROIT PISTONS」の文字が配置され、外側をライトブルーのリングが囲んでいます。
これらのロゴの変遷は、チームの歴史やデトロイトの自動車産業との関連性を反映しており、時代ごとのデザインのトレンドやチームのアイデンティティの変化を示しています。
NBL優勝回数 2回
🏆 1944–45シーズン(vs. シェボイガン・レッドスキンズ)
ファイナルMVP:バッド・デューリー
フォートウェイン・ゾルナー・ピストンズは、鋼のようなディフェンスと機動力を武器に、シェボイガン・レッドスキンズとのNBLファイナルを制しました。このシーズンでは、司令塔バッド・デューリーがチームを巧みに操り、ファイナルMVPとして勝利に大きく貢献しました。
🏆 1945–46シーズン(vs. ロチェスター・ロイヤルズ)
ファイナルMVP:ボブ・カーペンター
前年に続き、ピストンズは連覇に成功。ロチェスター・ロイヤルズとの死闘を制し、2年連続でNBL王者に輝きました。ファイナルではボブ・カーペンターがリバウンドと内外の得点力で圧倒的存在感を見せ、MVPを獲得しました。
NBA優勝回数 3回
🏆 1988–89シーズン(vs. ロサンゼルス・レイカーズ)
ファイナルMVP:ジョー・デュマース
「バッドボーイズ」時代の幕開けとなったこのシーズン、ピストンズはスター軍団レイカーズをスウィープし、NBAファイナルを制しました。ジョー・デュマースは安定感ある得点とディフェンスで光り、文句なしのファイナルMVPに輝きました。
🏆 1989–90シーズン(vs. ポートランド・トレイルブレイザーズ)
ファイナルMVP:アイザイア・トーマス
前年王者として挑んだこのシーズン、ピストンズは再びファイナルを制し、堂々の連覇を達成。アイザイア・トーマスがリーダーとしてチームをまとめ、得点・アシストともに圧巻のパフォーマンスでMVPを手にしました。
🏆 2003–04シーズン(vs. ロサンゼルス・レイカーズ)
ファイナルMVP:チャンシー・ビラップス
歴史的アップセットを演じたこのシーズン、ピストンズはシャック&コービーを擁するレイカーズを4勝1敗で撃破。チャンシー・ビラップスはクラッチなプレイでゲームをコントロールし、ファイナルMVPとしてチームを勝利へ導きました。
チーム公式サイト
https://www.nba.com/pistons/
公式チケット購入サイト
https://www.nba.com/pistons/tickets/single
チーム公式ショップ
https://www.nba.com/pistons/tickets/single
日本版公式ショップ
https://www.nbastore.jp/ja/detroit-pistons/t-25585150+z-9946885-597818103?_ref=m-TOPNAV
傘下Gリーグチーム
モーターシティ・クルーズ
https://detroit.gleague.nba.com/
チーム各種SNS
歴史
デトロイト・ピストンズは、現在のNBAにおける名門チームの一つですが、その起源はインディアナ州フォートウェインに遡ります。
創設の背景
創設は1939年、当時のチーム名は「フォートウェイン・ゾルナー・ピストンズ(Fort Wayne Zollner Pistons)」でした。
このチームを創設したのは、地元企業「ゾルナー・マシン・ワークス(Zollner Machine Works)」の創業者であり社長だった**フレッド・ゾルナー(Fred Zollner)**です。ゾルナー社は、自動車や産業用エンジンのピストン(内燃機関部品)を製造する企業であり、創業者のゾルナーは従業員の福利厚生と広告宣伝の一環として、バスケットボールチームを立ち上げました。
企業チームとしてのスタート
当初、ゾルナー・ピストンズはセミプロチームとして活動しており、工場労働者や地域の有望な選手たちを集めて構成されていました。この時代は、企業がスポーツチームを持つことが珍しくなく、会社名を冠したチームが数多く存在していました。
ゾルナーは積極的に投資を行い、全米から有望選手を集め、チームを本格的なプロフェッショナルチームに育てていきます。その結果、チームは1941年、**ナショナル・バスケットボール・リーグ(NBL)**に加盟。すぐにリーグ有数の強豪チームとなり、1944–45、1945–46シーズンと2度のNBLチャンピオンに輝いています。
NBAへの参加とデトロイトへの移転
1949年、NBLはバスケットボール・アソシエーション・オブ・アメリカ(BAA)と合併し、現在の**NBA(National Basketball Association)**が誕生します。ゾルナー・ピストンズもこのタイミングでNBAに参加します。
1957年、フレッド・ゾルナーはさらなる市場拡大を狙い、チームをインディアナ州フォートウェインからミシガン州デトロイトへ移転させます。これは、フォートウェインのような小都市ではチームの成長に限界があると判断したためです。
新天地デトロイトは、アメリカの「モーターシティ」として知られ、ピストン(エンジン部品)とも縁が深い工業都市だったため、チーム名の「ピストンズ」はそのまま継承されました。これにより、「デトロイト・ピストンズ」が正式に誕生します。
創設後の発展
🔵 1940年代(1939–1949):企業チームからプロリーグへの躍進
デトロイト・ピストンズの起源は、1939年にインディアナ州フォートウェインで創設された「フォートウェイン・ゾルナー・ピストンズ」。創設者はエンジン用ピストンを製造していたゾルナー・マシン・ワークス社の社長フレッド・ゾルナーで、チーム名はそのまま自社製品に由来している。1941年にNBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)へ参加し、すぐにリーグ有数の強豪となる。1944年・1945年に連覇を達成し、ゾルナーの熱意と資金力で優秀な選手を全国から集めたことが成功を呼んだ。1948年にはNBAの前身となるBAAとの対抗戦にも参加し、1949年の合併により正式にNBAの創設チームのひとつとなる。
🔵 1950年代(1950–1959):地方都市から大都市へ、移転と再スタート
1950年代前半、フォートウェイン時代のピストンズは比較的強豪とされ、1955年と1956年にはNBAファイナルに進出。ただし、両年とも優勝には届かず、レイカーズやナショナルズなどに屈した。だが、チームは地方都市であるフォートウェインという小規模市場に限界を感じていた。1957年、フレッド・ゾルナーはビジネス拡大のため、チームをデトロイトに移転させる。新天地デトロイトは「モーターシティ」として知られる工業都市で、ピストン=エンジンとの結びつきがブランドにもマッチしていた。しかし移転後の成績は低迷、地元ファンの関心も低く、空席の目立つ会場や経営の不安定さに悩まされる時期が続いた。
🔵 1960年代(1960–1969):スター選手の登場とプレーオフ進出
1960年代のピストンズは、デイブ・ディバッシャーやデイブ・ビンといった有力選手の登場により、少しずつチーム力を高めていく。特に1966年に入団したデイブ・ビンは即戦力として頭角を現し、1967年には新人王を獲得。以降10年近くにわたってチームの看板選手として活躍した。1967–68シーズンには、ビンとセンターのハッピー・ヘアストンのコンビでプレーオフに進出し、チームは上昇ムードに包まれる。ただしこの時代はフロントの混乱も目立ち、監督交代や戦略の一貫性の欠如が成績の波を生んだ。会場も固定されず、ホームゲームの環境整備もままならなかったことで、安定的な成長には至らなかった。
🔴 1970年代(1970–1979):スターの不在と低迷の続いた時代
この時代のピストンズは、主にボブ・レイニア(1970年ドラフト1巡目)とデイブ・ビンを中心とするチームとして知られている。レイニアは即戦力のビッグマンとして、長年ピストンズの得点・リバウンドを支えた。しかしビンとの相性やチーム戦術のミスマッチが噛み合わず、個々の才能に頼った不安定な戦いが続いた。また、1974年のビンの移籍後は戦力バランスが崩れ、成績は下降線をたどる。フロントは何度も再建に着手するが、短期的な采配の繰り返しで大きな成果を上げることができなかった。チームはデトロイト市内の様々なアリーナを転々とし、ファンとの結びつきも弱体化。1970年代後半には観客動員が大きく落ち込み、リーグ内でも影の薄い存在となってしまった。
🔵 1980年代(1980–1989):“バッドボーイズ”の誕生と初の栄光へ
1980年代のピストンズは、まさに激動と躍進の10年。アイザイア・トーマスが1981年のドラフトで加入し、瞬く間にチームのリーダーとなった。彼の情熱とスキルに加え、ジョー・デュマース、ビル・レインビア、リック・マホーン、後にデニス・ロッドマンといった個性派選手たちが揃い、「バッドボーイズ」と称されるタフでフィジカルなチームが形成された。
1987年頃から徐々にイースタン・カンファレンスの強豪として頭角を現し、1988年にはついにNBAファイナルへ進出。惜しくもレイカーズに敗れるも、その経験は翌年に活かされ、1988–89シーズンで悲願のNBA初優勝を達成。ジョー・デュマースがファイナルMVPを獲得し、ピストンズは名実ともにリーグ屈指のチームへと上り詰めた。
🔵 1990年代(1990–1999):連覇と黄金期の終焉、再建期への突入
1990年には再びファイナルに進出し、ポートランド・トレイルブレイザーズを破って2連覇を成し遂げる。アイザイア・トーマスがファイナルMVPを受賞し、「バッドボーイズ」の黄金時代はピークを迎えた。しかし、フィジカルなプレースタイルへのリーグ側の規制や、チーム内の高齢化、怪我なども重なり、91年以降は急速に衰退。
1994年にはアイザイアが引退し、黄金時代は幕を閉じる。以降はグラント・ヒルらの新世代選手を中心に再建が図られたが、プレーオフでの結果は伴わず、長らく中位に沈む時期が続いた。フロントの迷走や監督交代も重なり、ファンの間では「次なる希望」が待たれる時期でもあった。
🔵 2000年代(2000–2009):“完全無欠のチームバスケ”で王座奪還
2000年代初頭、GMジョー・デュマースは「スターよりチーム」をコンセプトに、堅実かつ堅牢なロスターを構築。チャンシー・ビラップス、リチャード・ハミルトン、ベン・ウォーレス、ティション・プリンス、ラシード・ウォーレスといったディフェンス志向のメンバーが揃い、名将ラリー・ブラウンの下で成熟。
2003–04シーズン、レイカーズ(シャック&コービー体制)を圧倒して3度目のNBA優勝を成し遂げる。ファイナルMVPはビラップス。以降も2008年頃まで毎年イースタン・カンファレンスファイナルに進出するなど、王朝に近い安定感を誇った。しかし、2009年以降は主力選手の移籍・高齢化が重なり、再びチームは低迷期へと向かう。
🔵 2010年代(2010–2019):再建の苦難と“ロゴの原点回帰”
2010年代のピストンズは、明確なチームビジョンを失ったまま低迷が続いた。アンドレ・ドラモンドら若手に期待がかかるも、プレーオフ常連には定着できず、ヘッドコーチの交代も頻繁に行われた。2016年にはスタン・ヴァン・ガンディが再建の指揮をとるも大きな成果は得られなかった。
一方で、ブランド戦略としてチームのクラシックロゴ(1979年版)を基にした新デザインへの回帰が行われ、歴史の重みと伝統を再認識するムーブメントが生まれる。2017年には本拠地をデトロイト中心部の「リトル・シーザーズ・アリーナ」へ移転し、地域密着型のチームとしての再出発を図った。
🔵 2020年代(2020–2029):若手育成と未来への布石
2020年代のデトロイト・ピストンズは、「再建の深化」と「若手コアの確立」を中心テーマに掲げ、新時代への布石を打つ10年となった。チームは高順位のドラフト指名権を活用し、ケイド・カニングハム(2021年1位指名)を筆頭に、ジェイデン・アイヴィーやジェイレン・デューレンといったポテンシャル溢れる若手を獲得。育成とケミストリーの醸成に注力する方針が明確になった。
しかし、勝利には直結せず、度重なるコーチ交代やフロントの方針転換により、依然として再建トンネルの中にいる印象も拭えなかった。2023–24シーズンには球団ワーストの28連敗を喫し、組織としての再構築の必要性が浮き彫りとなった。
一方で、ファンとの絆を深める地域密着型の取り組みや、伝統ユニフォームの復刻、ホームアリーナ「リトル・シーザーズ・アリーナ」でのイベント強化など、文化的価値の再認識が進む。
2020年代後半には、若手の成熟やチームケミストリーの構築が実を結ぶかが焦点となる。ピストンズは、“バッドボーイズ”や“2004年王者”のようなチームアイデンティティを再び築けるのか、未来への挑戦が続く。
永久欠番
| 番号 | 名前(カタカナ) | 主な功績 |
|---|---|---|
| 1 | チャンシー・ビラップス | 2004年ファイナルMVP、リーダーシップ、2000年代の黄金期を牽引 |
| 2 | チャック・デイリー | 名将、1989・1990年のNBA連覇を達成、“バッドボーイズ”時代のHC |
| 4 | ジョー・デュマース | 1989・1990年優勝、1990年ファイナルMVP、守備とシュート力に優れた名SG |
| 10 | デニス・ロッドマン | 2度の優勝、屈指のリバウンド力とディフェンス、“バッドボーイズ”の象徴 |
| 11 | アイザイア・トーマス | 1989・1990年優勝、1984年ASG MVP、ピストンズ史上最高のポイントガード |
| 15 | ヴィニー・ジョンソン | “ザ・ミクロウェーブ”の異名、クラッチシューターとして1989年優勝に貢献 |
| 16 | ボブ・レイニア | 1970年代のチームの柱、7度のオールスター選出、高い得点力とリーダーシップ |
| 21 | デイブ・ビン | 1968年得点王、殿堂入りガード、ピストンズ初期のエース |
| 32 | リチャード・ハミルトン | 2004年優勝の中心選手、オフボールムーブの名手、得点力に優れるSG |
| 40 | ビル・レインビア | 1989・1990年優勝、タフなセンター、“バッドボーイズ”の要 |
| 42 | ジェリー・ルーカス | ※現在ピストンズでの永久欠番ではなく、ニューヨーク・ニックスなどで活躍(参考) |
| 100 | チャック・コーナース | ピストンズの創設期のオーナーとしてチームに貢献 |
チームロスター
| 番号 | 名前(カタカナ) | 国略称 | 身長 | 体重 |
|---|---|---|---|---|
| 0 | ジェイレン・デューレン | USA | 211 | 113 |
| 00 | ロン・ホランド | USA | 203 | 93 |
| 2 | ケイド・カニングハム | USA | 198 | 100 |
| 5 | マリーク・ビーズリー | USA | 193 | 85 |
| 7 | ポール・リード | USA | 206 | 95 |
| 8 | ティム・ハーダウェイ・ジュニア | USA | 196 | 93 |
| 9 | アサー・トンプソン | USA | 201 | 86 |
| 12 | トバイアス・ハリス | USA | 203 | 103 |
| 13 | ロン・ハーパー・ジュニア | USA | 193 | 106 |
| 17 | デニス・シュルーダー | GER | 185 | 79 |
| 19 | シモーネ・フォンテッキオ | ITA | 201 | 95 |
| 23 | ジェイデン・アイビー | USA | 193 | 88 |
| 24 | ダニス・ジェンキンス | USA | 193 | 82 |
| 25 | マーカス・サッサー | USA | 188 | 88 |
| 28 | アイザイア・スチュワート | USA | 206 | 113 |
| 34 | ボビ・クリントマン | SWE | 206 | 96 |
| 35 | トル・スミス | USA | 211 | 111 |
| 43 | リンディ・ウォーターズ3世 | USA | 198 | 95 |
チームスタッフ
デトロイト・ピストンズのスタッフ(2024年時点)
🏢 フロントオフィス
バスケットボール運営部門代表(President of Basketball Operations)
トラジャン・ラングドン(Trajan Langdon)|2024年就任
ゼネラルマネージャー(General Manager)
未定(2024–25シーズン時点で空席)
バスケットボール運営部門上級顧問(Senior Advisor to the President)
ジム・ホワイツェル(Jim Whitesell)|2024年就任
選手人事部門バイスプレジデント(Vice President of Player Personnel)
デビッド・マレンズ(David Mincberg)
プロスカウティング部門ディレクター(Director of Pro Scouting)
ロブ・マーシュ(Rob Marchek)
プレーヤーデベロップメント/バスケットボールオペレーションアソシエイトVP
ライアン・ウェスト(Ryan West)
ストラテジー&アナリティクス ディレクター
マイク・ファインゴールド(Mike Feingold)
バスケットボールオペレーションアナリスト
エヴァン・スー(Evan Sue)
プレーヤーエンゲージメント&スペシャルプロジェクト ディレクター
ブレイン・アリソン(Blaine Allison)
Gリーグ(モーターシティ・クルーズ)GM
アロイシャス・テイ(Aloysius Tye)
🧑🏫 コーチングスタッフ
ヘッドコーチ
モンティ・ウィリアムズ(Monty Williams)|2023年就任
アシスタントコーチ
- ジョセフ・ブレア(Joseph Blair)
- スティーブン・シラス(Stephen Silas)
- ジャロン・アカーナ(Jaron Akana)
- ジェームズ・ウェイズマン(James Wiseman)
ビデオコーディネーター
アレックス・ウエスト(Alex West)
🧠 アナリティクス・サポート
パフォーマンスディレクター
アレックス・アサーフ(Alex Asaf)
アスレチックトレーナー
アリ・クラフト(Ari Kraft)
ストレングス&コンディショニングコーチ
エリック・ヘルムズ(Eric Helms)
チームサラリー表
保有ドラフト指名権
🏀 2025年ドラフト
1巡目指名権
・1〜13位:ピストンズが保持
・14〜30位:ミネソタに譲渡(※元はヒューストン → OKC → ニックス経由)
2巡目指名権
非常に複雑なプロテクションとスワップが含まれており、以下のような可能性がある:
- DET、DAL、GSW、WASの中で最も有利な指名権がボストンへ
- 2番目に有利なものがユタへ
- 3番目に有利なものまたはDET(31-55位)がワシントンへ
- DETが56〜60位の場合、ワシントンに送られない可能性あり(代わりにMILまたはMEMへ)
- DETの56〜59位の指名権がニューヨークへ(複数トレードを経由)
- トロントも2巡目権利あり(SAN→DAL経由)
🏀 2026年ドラフト
1巡目指名権
・1〜11位:ピストンズが保持
・12〜30位:ミネソタに譲渡(※前述の条件がまだ満たされていない場合)
2巡目指名権
・DET、MIL、ORLの中で最も有利な2つ → オーランドへ
・残りの1つ → ニックスへ
(※DET→LAC→ORL→PHX→BRK→NYK経由)
🏀 2027年ドラフト
1巡目指名権
・1〜9位:ピストンズが保持
・10〜30位:ミネソタへ(まだ未送付であれば)
2巡目指名権
・上記1巡目が未送付の場合、ミネソタに譲渡
・BRKとDALのうち不利な方 → ピストンズへ
・MILからの権利も保有(PHL経由)
🏀 2028年ドラフト
1巡目指名権
・ピストンズが完全保有
2巡目指名権
・DETの31〜55位:ピストンズが保持
・DETの56〜60位:フィラデルフィアに譲渡
・CHAとLACのうち不利な方 → DET(DAL経由)
・DALが2027年にCHAへ1巡目を渡した場合:MIAが獲得
・NYKも権利を保有
(※最終的に最も不利なものはユタへ)
🏀 2029年ドラフト
1巡目指名権
・ピストンズが完全保有
2巡目指名権
・ピストンズ保有
・MIL(BRK経由)とNYKも保有
🏀 2030年ドラフト
1巡目指名権
・ピストンズが完全保有
2巡目指名権
・ピストンズ保有
・MINも権利保有
🏀 2031年ドラフト
1巡目指名権
・ピストンズが完全保有
2巡目指名権
・ピストンズ保有
・DAL(PHL経由)
・GSWとMINのうち不利な方 → ピストンズ(MINのスワップ権あり)
ドラフト指名権参考サイト
https://basketball.realgm.com/nba/draft/future_drafts/team



