
Milwaukee Bucks
ミルウォーキー バックス
チーム情報
アリーナ所在地
ファイサーブ・フォーラム
アメリカ合衆国、ウィスコンシン州ミルウォーキー市
ヴェル・R・フィリップス・アベニュー1111番地
〒53203
収容人数
17,500人
アリーナ公式サイト
https://www.fiservforum.com/
ロゴについて
🦌 1968年〜1993年:初代ロゴ
🎨 デザイン要素
陽気なバック(雄ジカ):バスケットボールに座ってウィンク。蝶ネクタイをつけていて、人間味がある。
字体:Bucksの文字も丸みを帯びており、全体的にフレンドリーな印象。
🎯 意図と背景
チーム創設時、NBAのイメージが「家族向け・親しみやすさ重視」であり、エンターテインメント性を強調していた。
地元ウィスコンシン州の狩猟文化を象徴する動物として「バック(雄ジカ)」を採用。
🧠 解釈
ロゴ全体がマスコット化されており、スポーツチームというよりもキャラクターグッズに近い感覚。
この陽気な鹿は、実際に**「Bango」**というマスコットキャラクターにも引き継がれる。
🦌 1993年〜2006年:二代目ロゴ
🎨 デザイン要素
正面を見据えたリアルな鹿。筋肉質で鋭い目つき。
三角形の背景(盾のような形状)で、よりスポーティで強い印象。
紫と緑の配色。
🎯 意図と背景
90年代はNBA全体が「クールでハードな」イメージへのシフト期。マスコット風ロゴからプロフェッショナル・アスリート感へ。
紫は90年代に流行したスポーツカラーで、トレンドを反映。
🧠 解釈
チームの勝利志向とブランドイメージの刷新を意識したデザイン。
当時の主力選手(グレン・ロビンソン、レイ・アレンなど)のスター性もあり、「強いバックス」を前面に押し出す。
🦌 2006年〜2015年:三代目ロゴ(マイナーチェンジ)
🎨 デザイン要素
二代目と基本構成は同じ。角のシャープさ、線の太さなどが微調整されている。
色味もより深い緑と赤に変更。
🎯 意図と背景
大きな改革ではなく、ブランドの一貫性を保ちながらの洗練。
紫を排除し、「狩猟」や「森」といったウィスコンシンの自然イメージを強調する方向へ回帰。
🧠 解釈
外見上の大きな変化はないが、チームは再建期に入り、ブランドの芯を再確認する時期。
この時期は、ヤニス・アデトクンボが入団(2013年)し、**「将来の顔」**となる布石の時代。
🦌 2015年〜現在:四代目(現行)ロゴ
🎨 デザイン要素
鹿の顔が横を向き、角が上に大きく広がっている。額部分は「M」の形に。
楕円の枠、モダンでシンメトリックなレイアウト。
新色「グッドランドグリーン」「クリームシティクリーム」「グレートレイクスブルー」など、地元の文化・景観を反映。
🎯 意図と背景
2015年のロゴ変更は、バックスのチーム再興プロジェクトの中心。
新アリーナ(ファイサーブ・フォーラム)計画や、ブランド全体の再定義と合わせて刷新。
デザイン会社 Doubleday & Cartwright によって手がけられた。
🧠 解釈
鹿は**「警戒・集中・力強さ」**を表現。バスケットボールのエリート集団としての威厳がにじみ出る。
角が「M」の形 → Milwaukeeの象徴であり、細部に意味を持たせる「現代的ブランド設計」。
チームが**NBA制覇(2021年)**を果たし、ロゴもその成功を象徴する存在に。
NBA優勝回数 2回
🏆 1970–71シーズン(vs. ボルチモア・ブレッツ)
ファイナルMVP:カリーム・アブドゥル=ジャバー(当時ルー・アルシンダー)
初優勝!伝説のデュオ “カリーム&ロバートソン” が無敵の強さを見せる
🏆 2020–21シーズン(vs. フェニックス・サンズ)
ファイナルMVP:ヤニス・アデトクンボ
初優勝!デビン・ブッカー&クリス・ポール率いるサンズを破る
チーム公式サイト
https://www.nba.com/bucks/
公式チケット購入サイト
https://www.nba.com/bucks/tickets/single?Location=Home
チーム公式ショップ
https://www.nba.com/bucks/tickets/single?Location=Home
日本版公式ショップ
https://www.nbastore.jp/ja/milwaukee-bucks/t-3375?ab=%7Bwt-static_graphic%7D%7Bpt-home%7D%7Bal-teamlinks%7D%7Bct-milwaukee_bucks%7D
傘下Gリーグチーム
ウィスコンシン・ハード
https://wisconsin.gleague.nba.com/
チーム各種SNS
歴史
ミルウォーキー・バックスの創設には、アメリカ中西部のバスケットボール人気の高まりと、NBAの拡大戦略が大きく関わっています。
創設の背景
🔹 NBAの拡大路線と中西部の重要性(1960年代)
1960年代後半、NBAは**リーグ拡大(エクスパンション)**を積極的に推進。その背景には、
新都市でのファン獲得
テレビ放映エリアの拡張
アメリカ全土に「全国リーグ」としての存在感を強める狙い
がありました。
この中で、バスケットボール人気の高い中西部地域(ミネソタ、イリノイ、ウィスコンシンなど)は特に重視されており、かつてNBAチーム「ミルウォーキー・ホークス(1951–55)」の本拠地だったミルウォーキーも、再びその舞台に返り咲くチャンスを得ることになります。
🔹 ミルウォーキーという都市の強み
ミルウォーキーは当時すでに以下のような魅力を持っていました:
過去にNBAチームを持った経験
MLBミルウォーキー・ブリュワーズなどによる地元のスポーツ文化の成熟
都市開発が進む60年代の経済成長
地元実業家たちの強い推進力
このような背景をもとに、ミルウォーキーは再びNBAフランチャイズを獲得するに至ります。
🔹 実業家グループの動きと球団設立(1968年)
1968年1月22日、NBAはミルウォーキーとフェニックスの2都市に新フランチャイズを授与しました。ミルウォーキー側では、ウェスリー・パバロン Sr. と マーヴィン・フィッシュマンを中心とする「ミルウォーキー・プロフェッショナル・スポーツ&サービス社(MPSS)」が運営母体となり、同年2月5日に正式法人化。
地元市民からの支援も非常に強く、5ドルの株式を30万株販売。人気により、さらに12.5万株が追加発行されました。
🔹 チーム名の由来と初代体制
**チーム名は公募(約45,000通)**により「バックス(Bucks=オジカ)」に決定。
ウィスコンシン州の狩猟文化を象徴
**鹿の「敏捷さ・スピード・優雅さ」**がバスケットボールと相性抜群
地元の自然・文化との親和性が評価された
初代ヘッドコーチにはラリー・コステロが就任。彼は在任中に**410勝264敗(勝率.608)**という優れた成績を残しました。
🔹 1年目の成績と黄金時代への布石
1968–69シーズン(創設初年度):27勝55敗(当時の拡張チームとしては健闘)
1969年ドラフトで、UCLA出身のセンター ルー・アルシンダー(後のカリーム・アブドゥル=ジャバー) を1位指名
1970年、レジェンドPG オスカー・ロバートソンをトレードで獲得
この2人を中心に戦力が一気に充実し、1971年にリーグ最速のNBA制覇を達成!
創設後の発展
🔴 1960年代(1968–1969):創設と“天才センター”への運命の出会い
チーム誕生と新たな希望
1968年、NBA拡張によってミルウォーキー・バックスが誕生。ウィスコンシン州にとって初のNBAフランチャイズで、GMはジョン・エリス。チーム名「バックス」は州のシンボル動物である鹿から選ばれた。
デビューシーズンの試練
創設初年度(1968–69)は27勝55敗と苦戦するも、新設チームとしては健闘。ルーキーのフリン・ロビンソンやジョン・マッグロックリンが奮闘した。チームとしての基盤を固める中、翌年の大きな転機へと向かう。
未来を変えた“コイントス”
1969年、NBAドラフト全体1位指名をかけたサンズとのコイントスに勝利。選ばれたのはUCLA出身のスーパースター、ルー・アルシンダー(後のカリーム・アブドゥル=ジャバー)。この瞬間、バックスの歴史は大きく動き出した。
🔴 1970年代(1970–1979):王者バックス、栄光と再編の時代
黄金時代の到来
1970–71シーズン、ルー・アルシンダーに加え、オスカー・ロバートソンが加入。名将ラリー・コステロの下でリーグを席巻し、シーズン66勝16敗という圧巻の成績で初のNBA優勝を果たす。アルシンダーはMVPとファイナルMVPを受賞。
ジャバー時代の継続と終焉
アルシンダーが1971年にイスラム教に改宗し、「カリーム・アブドゥル=ジャバー」へ改名。その後も1974年にはファイナル進出を果たすが、ボストン・セルティックスに敗北。70年代後半には主力の高齢化や世代交代が進み、勝率も下降。
象徴の移籍
1975年オフ、ジャバーがトレードを要求し、ロサンゼルス・レイカーズへ移籍。バックスはブライアン・ウィンターズらを獲得するが、王者時代の輝きは次第に薄れていった。チームは再建期に入り、若手の育成が主眼となる。
🔴 1980年代(1980–1989):堅実な強豪としての地位確立
堅守と組織力のバスケット
1980年代は名将ドン・ネルソンの下、堅実なチームバスケットでイースタン・カンファレンスの強豪として定着。シドニー・モンクリーフ、マーカス・ジョンソン、ポール・プレスィらが中心となり、プレーオフ常連となる。
リーグ屈指の守備力
特にモンクリーフはディフェンスの要として知られ、1983年と1984年にNBA最優秀守備選手賞(DPOY)を受賞。バックスは毎年50勝前後を記録し、レギュラーシーズンでは安定した成績を残す。
優勝の壁
しかし、イーストにはラリー・バード率いるセルティックスや、ジュリアス・アービングの76ersといった強豪が立ちはだかり、NBAファイナルには届かず。1983–86年には4年連続でカンファレンス決勝または準決勝に進出するも敗退。
ネルソン政権の終焉
1987年にはネルソンがヘッドコーチを辞任。後任はデル・ハリスとなるが、80年代後半には徐々に戦力が低下。10年間で9回プレーオフに進出するも、ファイナル進出は叶わなかった“堅実な強豪”の時代だった。
🔴 1990年代(1990–1999):迷走と再建の10年
低迷の始まり
1990年代はバックスにとって暗黒時代とも言える時期。シドニー・モンクリーフなど80年代の主力が引退・移籍し、チームは若返りを図るが、成績は安定せず。1990年から1998年まで、8年連続でプレーオフ進出を逃す。
ドラフトでの試行錯誤
デレック・ストロング、トッド・デイ、エリック・モブリーらをドラフト指名するも、いずれも大成せず。再建の道は険しく、勝率3割台に沈むシーズンも多かった。
光明の兆し
1996年、レイ・アレンをドラフトで指名(当初はウルブズが指名、すぐにトレード)。シャープシューターとしてチームの新たな中心となる。さらに1998年にはグレン・ロビンソン、サム・キャセールらとのトリオが結成され、“新時代”の予感が生まれる。
ビッグスリー結成へ
1999年にはジョージ・カーールがHCに就任。アレン、ロビンソン、キャセールの“ビッグスリー”が機能し始め、ようやくチームに勝利の文化が戻りつつあった。長かったトンネルの出口が見え始める。
🔴 2000年代(2000–2009):一時の躍進と再びの停滞
カンファレンス決勝への到達
2000–01シーズン、ビッグスリーの活躍により52勝を記録し、プレーオフでは76ersとの激戦を制してカンファレンス決勝へ進出。最終戦までもつれる熱戦の末、アレン・アイバーソンの76ersに敗れたが、久々の成功に沸いた。
崩れたバランス
その後、チーム内での不協和音が表面化し、アレンは2003年にスーパーソニックスへトレード。ビッグスリーは解体され、チームも再び中位に沈んでいく。
新エース、マイケル・レッド
アレンの後継者として、スウィングマンのマイケル・レッドが台頭。2004年にはオールスターに選出され、得点源として活躍するも、チーム全体の再建は進まず、プレーオフでも1回戦敗退が続いた。
再建の芽とケガの悪夢
2005年にはアンドリュー・ボーガットを全体1位で指名し未来を託すも、レッドのケガやチームの不安定な編成により浮上には至らず。再建と低迷を繰り返す10年間だった。
🔴 2010年代(2010–2019):“ギリシャの怪物”とともに成長するチーム
新星ヤニスの出現
2013年、ギリシャ出身の無名選手、ヤニス・アデトクンボをドラフト指名。長い手足と規格外の身体能力で“ギリシャ・フリーク”と呼ばれ、徐々に才能を開花させる。
苦しみながらの成長
2013–14シーズンはわずか15勝とフランチャイズ史上最悪の成績に終わるが、そこから徐々に若手中心のチームづくりが進む。2016年にはジェイソン・キッドがHCに就任し、ヤニスを“ポイントフォワード”として起用。
ヤニス時代の幕開け
2017年には初のオールスター選出。2019年には平均27.7点、12.5リバウンドを記録し、バックスをリーグ最高勝率へ導く。シーズンMVPを受賞し、名実ともにNBAの顔の一人へと成長する。
強豪への返り咲き
バディンホルザーHCの下、組織的なディフェンスとヤニス中心のオフェンスでプレーオフ常連に。2019年にはカンファレンス決勝まで進出し、久々のNBA制覇へ現実味を帯びてくる。
🔴 2020年代(2020–現在):悲願の優勝と“新たな覇権”への挑戦
50年ぶりのNBA制覇
2020–21シーズン、クリス・ミドルトンやジュルー・ホリデーらとの連携でプレーオフを勝ち抜き、NBAファイナルでフェニックス・サンズを4勝2敗で下して、1971年以来50年ぶりの優勝。ヤニスはファイナルMVPに輝き、歴史に名を刻む。
継続する強さ
その後も安定して上位を維持し、ヤニスは毎年MVP候補に挙がる存在に。バックスは東のトップチームとしての地位を確立し、コンスタントに50勝前後を記録。
世代交代の兆しと再挑戦
2023年にはヘッドコーチがエイドリアン・グリフィンに交代(のちにドック・リバースが就任)。そして2023オフにはデイミアン・リラードが加入し、“新たなビッグデュオ”が誕生。再びNBA王座を狙う戦いが続いている。
永久欠番
| 番号 | 名前 | 主な功績 |
|---|---|---|
| 1 | オスカー・ロバートソン | “ビッグO”の異名を持つ名司令塔。カリームと共に1971年の優勝に貢献。 |
| 2 | ジョー・プリュイット | バックス初代アシスタントGM。長年のチーム運営への功績を称えられた。 |
| 4 | シドニー・モンクリーフ | 1980年代の守備の要。DPOYを2度受賞し、バックスの黄金時代を支えた。 |
| 8 | マーカス・ジョンソン | 多才なスコアラーとして活躍。5度のオールスター選出を誇るチームの中心選手。 |
| 10 | ボブ・ダンドリッジ | 優勝メンバーであり、スムーズなプレーと高い得点力で知られたオールスター。 |
| 14 | ジョン・マクグロックリン | 創設メンバーの一人で、1971年の優勝にも貢献した名シューター。 |
| 16 | ブライアン・ウィンターズ | トレードでカリームと入れ替わりで加入。長年にわたる活躍でファンに親しまれた。 |
| 32 | ブライドン・マクスウェル | 長年にわたってバックスのフロントとスカウティングに貢献した名スタッフ。 |
| 33 | カリーム・アブドゥル=ジャバー | ルーキーイヤーから活躍し、1971年にファイナルMVPとしてバックスを初優勝に導いた。 |
| 34 | レイ・アレン | 1996年から在籍し、精密なシュートとクラッチ力でバックスを支えた名シューター。 |
チームロスター
| 番号 | 名前(カタカナ) | 国 | 身長 | 体重 |
|---|---|---|---|---|
| 0 | デイミアン・リラード | USA | 188 | 88 |
| 00 | ジェリコ・シムズ | USA | 208 | 113 |
| 3 | ケビン・ポーター・ジュニア | USA | 193 | 92 |
| 5 | ゲイリー・トレント・ジュニア | USA | 196 | 93 |
| 7 | クリス・リビングストン | USA | 198 | 100 |
| 9 | ボビー・ポーティス | USA | 211 | 104 |
| 11 | ブルック・ロペス | USA | 213 | 122 |
| 12 | トーリアン・プリンス | USA | 198 | 98 |
| 13 | ライアン・ロリンズ | USA | 191 | 82 |
| 15 | ジャマリー・ブイエ | USA | 188 | 82 |
| 17 | スタンリー・ウムデ | USA | 198 | 95 |
| 18 | カイル・クーズマ | USA | 206 | 100 |
| 20 | A・J・グリーン | USA | 193 | 86 |
| 21 | タイラー・スミス | USA | 211 | 85 |
| 24 | パット・コノートン | USA | 193 | 95 |
| 34 | ヤニス・アデトクンボ | GRC | 211 | 110 |
| 35 | ピート・ナンス | USA | 208 | 102 |
| 44 | アンドレ・ジャクソン・ジュニア | USA | 198 | 95 |
チームスタッフ
ミルウォーキー・バックスのスタッフ(2024年時点)
🏢 フロントオフィス(経営陣)
ガバナー(球団代表) ウェス・エデンズ(Wes Edens)
共同ガバナー ジェイミー・ダイナン(Jamie Dinan)
共同ガバナー ディー・ハスラム(Dee Haslam)
副会長 マイク・ファッシテリ(Mike Fascitelli)
球団社長 ピーター・フェイギン(Peter Feigin)
ゼネラルマネージャー(GM) ジョン・ホースト(Jon Horst)
アシスタントGM ミルト・ニュートン(Milt Newton)
バスケットボール運営部門 副社長 デイブ・ディーン(Dave Dean)
スカウト部門ディレクター ライアン・フーバー(Ryan Hoover)
バスケ戦略マネージャー ヴィン・バヴナニ(Vin Bhavnani)
バスケ運営マネージャー ダン・スミス(Dan Smith)
🧑🏫 コーチングスタッフ(チーム指導陣)
ヘッドコーチ ドック・リバース(Doc Rivers)
アシスタントコーチ レックス・カラミアン(Rex Kalamian)
アシスタントコーチ デイブ・イェーガー(Dave Joerger)
アシスタントコーチ トレバー・グリーソン(Trevor Gleeson)
アシスタントコーチ ピート・ドミンゲス(Pete Dominguez)
アシスタントコーチ ジョー・プランティ(Joe Prunty)
アシスタントコーチ ジョシュ・オッペンハイマー(Josh Oppenheimer)
アシスタントコーチ パトリック・ムトンボ(Patrick Mutombo)
🧪 パフォーマンス・メディカルチーム(身体管理・トレーニング)
チーフアスレティックトレーナー(主任トレーナー) スコット・ファウスト(Scott Faust)
パフォーマンス部門ディレクター トロイ・フラナガン(Troy Flanagan)
ストレングス&コンディショニングコーチ スキ・ホブソン(Suki Hobson)
理学療法士(フィジカルセラピスト) マーク・セラサニ(Mark Cerasani)
スポーツ科学者 ダニエル・テイラー(Daniel Taylor)
🧠 分析・技術スタッフ(アナリティクス・ビデオ)
バスケットボール分析部門ディレクター ブレイク・ボーズマン(Blake Bozeman)
データアナリスト エリック・リー(Eric Lee)
ビデオコーディネーター ブランドン・ベイリー(Brandon Bailey)
📋 その他運営スタッフ
プレイヤーデベロップメントコーチ(育成担当) ジョシュ・ロングスタッフ(Josh Longstaff)
チームセキュリティ責任者 ケビン・フェリックス(Kevin Felix)
チームサービスコーディネーター レイチェル・バーリーソン(Rachel Burleson)
チームサラリー表
保有ドラフト指名権
2025年
🔹 1巡目:
1-4位 → ニューオーリンズ・ペリカンズ(NOP)
5-30位 → ブルックリン・ネッツ(BRK、NOP経由→POR→DET→NYK)
🔸 2巡目:
クリーブランド・キャバリアーズ(CLE)へ譲渡
以下のうち2番目に好ましい指名権:
(i) **ワシントン・ウィザーズ(WAS)とゴールデンステート・ウォリアーズ(GOS)**のうち、最も好ましくないもの
(ii) **デトロイト・ピストンズ(DET)**31-55位と、**ワシントン(WAS)とゴールデンステート(GOS)**のうち、最も好ましいもの
(iii) フェニックス・サンズ(PHX)(DET→LAC→POR→DET経由;DETがGOSをWASと入れ替え via BRK;BOSがDET、GOS、WASをDALと入れ替え;DET→WAS経由;WAS→MIL経由)
2026年
🔹 1巡目:
自チームの指名権 または NOP(NOPがMILと指名権を交換)
🔸 2巡目:
最も好ましい指名権2つを**オーランド・マジック(ORL)へ譲渡し、その後、別の指名権をニューヨーク・ニックス(NYK)**へ譲渡(DET→LAC→ORL;ORL→PHX→BRK→NYK)
**ユタ・ジャズ(UTH)**の56-60位指名権(MIN→SAN経由)
2027年
🔹 1巡目:
自チームの指名権(ポートランド・トレイルブレイザーズ経由、15-30位条件が未解決の場合)
🔸 2巡目:
ワシントン・ウィザーズ(31-50位指名権)
ニューオーリンズ・ペリカンズ(51-60位指名権、ワシントン経由)
2028年
🔹 1巡目:
自チームの指名権(ポートランド・トレイルブレイザーズ経由、15-30位条件が未解決の場合)
🔸 2巡目:
自チームの指名権を保持(ポートランドがシカゴに1巡目指名権を譲渡していない場合)
2029年
🔹 1巡目:
自チームの指名権を保持
最も好ましいおよび最も不利な指名権はポートランドに譲渡
2番目に好ましい指名権はワシントンへ譲渡(BOS→POR経由、MIL→POR→WAS経由)
🔸 2巡目:
**デトロイト・ピストンズ(DET)**に譲渡(BRK経由)
2030年
🔹 1巡目:
自チームの指名権 または ポートランド・トレイルブレイザーズ(POR経由)
🔸 2巡目:
**オーランド・マジック(ORL)**に譲渡
2031年
🔹 1巡目:
自チームの指名権を保持
🔸 2巡目:
自チームの指名権を保持
ドラフト指名権参考サイト
https://basketball.realgm.com/nba/draft/future_drafts/team
