
San Antonio Spurs
サンアントニオ スパーズ
チーム情報
アリーナ所在地
フロスト・バンク・センター
アメリカ合衆国
テキサス州
サンアントニオ市
アッカーマン・ロード
3201番地
〒78219
収容人数
18,418人
アリーナ公式サイト
https://www.frostbankcenter.com/
ロゴについて
🏀 1. 1973年–1989年:「チャペラルズ」からの転身後のクラシックロゴ
デザイン概要:
最初のスパーズロゴは「SPURS」という文字をベースに、“U”の部分が拍車(スパー)になっているのが最大の特徴。
スタイル:無骨なセリフ体で、テキサスらしい無骨な印象。
背景:
ABA時代の「ダラス・チャペラルズ」がサンアントニオに移転し、「スパーズ」に改名。その直後から使われたロゴ。
🏀 2. 1990年–2002年:「Fiesta」カラーの時代
通称:「Fiestaロゴ」または「サウスウェストロゴ」
デザイン概要:
基本は以前と同様に“SPURS”のUが拍車型。ただし、背景に鮮やかな3色(ターコイズ・ピンク・オレンジ)のラインが入り、非常にカラフル。
スタイル:ポップで陽気な南西部らしさを反映。
背景:
地元の文化(ヒスパニックやラテン系の影響が強い)やFiesta San Antonioというイベントを反映したとされる。1990年代の特徴的なカラーリングとして今もファンに愛されている。
人気:この時代のカラーは2020年代にレトロリバイバルされ、City Editionユニフォームにも活用。
🏀 3. 2002年–2017年:「クール&シンプル」な現代的ロゴ
デザイン概要:
ロゴは再びモノトーンに。文字がやや細くなり、近未来的な印象のサンセリフフォントに変化。拍車の“U”部分は健在。
スタイル:シンプルでスタイリッシュ、ビジネスライクなデザイン。
背景:
ティム・ダンカン、マヌ・ジノビリ、トニー・パーカーの「黄金期」の時代にあたる。球団のアイデンティティが堅実さと強さを前面に出す方向へと転換。
🏀 4. 2017年–現在(2025年):マイナーチェンジと「スパーロゴ単体」の併用
デザイン概要:
ロゴ全体の構成は変わっていないが、よりフラットで洗練されたラインに調整。印刷・デジタル対応を意識したリファインが施されている。
サブロゴの登場:
特に注目すべきは、「スパー(拍車)だけのロゴ」がチームの象徴として独立して使用されるようになった点。シンプルな拍車アイコンは帽子やウェアにも多用。
スタイル:
クラシックと現代のハイブリッド。従来のロゴの遺産を維持しながら、今風のミニマルな方向へ。
NBA優勝 5回
🏆 1998–99シーズン(vs. ニューヨーク・ニックス)
ファイナルMVP:ティム・ダンカン
NBA史上初のロックアウトシーズンで短縮されたこの年、創設から26年目のスパーズはレギュラーシーズンをウェスタン・カンファレンス1位で終え、堅守とインサイドの強さでプレーオフを駆け上がった。ファイナルの相手は、第8シードから下剋上で勝ち上がったニューヨーク・ニックス。シリーズは第5戦で決着し、スパーズが4勝1敗で初優勝を達成。ダンカンは平均27.4得点、14.0リバウンド、2.2ブロックを記録し、初のファイナルMVPに輝いた。デイビッド・ロビンソンとの“ツインタワー”はリーグ屈指の破壊力を誇り、歴史的な戴冠を果たした。
🏆 2002–03シーズン(vs. ニュージャージー・ネッツ)
ファイナルMVP:ティム・ダンカン
ダンカンとロビンソンの“ツインタワー時代”のラストイヤー。創設30年目のスパーズは、レギュラーシーズンでウェスタン1位を記録し、若きトニー・パーカーやマヌ・ジノビリの成長も追い風にファイナルへ進出。対戦相手はジェイソン・キッド率いるネッツ。第6戦で勝利を収め、スパーズが4勝2敗で2度目の優勝。ダンカンはシリーズ平均24.2得点、17.0リバウンド、5.3アシスト、5.3ブロックという怪物級のスタッツを残し、文句なしのMVPに輝いた。ロビンソンにとってはキャリア最後の試合での優勝となった。
🏆 2004–05シーズン(vs. デトロイト・ピストンズ)
ファイナルMVP:ティム・ダンカン
前年度王者ピストンズとの熾烈なシリーズとなったこの年、スパーズは抜群のディフェンスとチーム力で対抗。シリーズは第7戦までもつれる大接戦となったが、最終戦でダンカンが25得点、11リバウンドの活躍を見せ、チームを勝利に導いた。シリーズ平均20.6得点、14.1リバウンドをマークしたダンカンが3度目のファイナルMVPを獲得。パーカー、ジノビリとの“ビッグ3”体制が確立し、王朝の中心がダンカンに完全に移行した象徴的な優勝となった。
🏆 2006–07シーズン(vs. クリーブランド・キャバリアーズ)
ファイナルMVP:トニー・パーカー
初のファイナル進出を果たしたレブロン・ジェームズ率いるキャブズを相手に、スパーズはシリーズを通して終始主導権を握る展開に。第4戦までに4連勝を収め、スウィープで4度目のNBA王座を獲得。パーカーは平均24.5得点を挙げてファイナルMVPに輝き、ヨーロッパ出身選手としては初の快挙となった。ジノビリの献身的なプレーやベンチの厚みも光り、組織としての完成度を見せつけたシリーズだった。
🏆 2013–14シーズン(vs. マイアミ・ヒート)
ファイナルMVP:カワイ・レナード
前年度の悔しい敗戦(レイ・アレンの劇的スリーポイント)からのリベンジをかけたシーズン。スパーズは徹底したボールムーブとディフェンスでシリーズを完全に掌握し、第5戦で4勝1敗と圧倒的な内容で勝利。レナードは平均17.8得点、6.4リバウンドを記録し、若干22歳でファイナルMVPを受賞。ダンカン、パーカー、ジノビリの“ビッグ3”に加え、若きレナードが新たな柱として台頭。「最も美しいバスケットボール」と称されたチームプレーで、5度目の優勝を飾った。
チーム公式サイト
https://www.nba.com/spurs/
公式チケット購入サイト
https://www.nba.com/spurs/tickets
チーム公式ショップ
https://spursfanshop.com/
日本版公式ショップ
https://www.nbastore.jp/ja/san-antonio-spurs/
傘下Gリーグチーム
オースティン・スパーズ
https://austin.gleague.nba.com/
チーム各種SNS
歴史
サンアントニオ・スパーズ(San Antonio Spurs)の創設は、単なる新球団の誕生というよりも、アメリカン・バスケットボール・アソシエーション(ABA)とアメリカ南部のバスケットボール文化の交差点として、いくつかの偶然と戦略的な決断が重なった結果でした。
創設の背景
🏀 起源:ダラス・チャペラルズ(Dallas Chaparrals)
スパーズの直接の前身は、**1967年にABAに加入した「ダラス・チャペラルズ」**です。
チャペラルズはテキサス州ダラスを拠点とし、実業家グループによって設立されました。
「チャペラル(Chapparal)」とは、テキサスを代表する鳥「ロードラナー(ミチバシリ)」の別名で、地域色を表現。
しかし、地元での関心が薄く観客動員は低迷。資金難にも苦しみ、経営は常に不安定でした。
🧳 サンアントニオへの「レンタル移転」:1973年の転機
1973年、チームオーナーたちはついに決断します――
「このままではチームが潰れる。別の都市で試してみよう」
こうして、**「1年間だけチームをサンアントニオに“貸す”形で移転」**するという奇策に出たのです。
サンアントニオは、当時プロスポーツチームを持っていなかった都市。
地元の実業家であるアンジェロ・ドローガスらが、ダラスのオーナーと交渉し、チーム運営を引き受ける。
チーム名を変更し、「サンアントニオ・スパーズ(Spurs=カウボーイの拍車)」が誕生。
📌 実はこの「レンタル移転」は、最初から恒久移転を視野に入れた“テスト販売”のようなものでした。
🤠 「スパーズ」命名の秘話
サンアントニオの地域文化は、テキサスの中でも特にカウボーイ文化が色濃く残る土地。
名称候補には「カウボーイズ」や「レンジャーズ」などがあったとされますが、すでに他競技チームに使われていた。
最終的に、**乗馬の際に靴のかかとに付ける金属器具「スパー(Spur)」**をチーム名に採用。
「スパー」には**“推進力”や“鼓舞する力”という意味もあり、戦う精神を象徴する**名前として定着。
🏟️ 移転直後の成功と定着
1973–74シーズンから「スパーズ」としてサンアントニオでの試合を開始すると、ダラス時代とは一変。
観客動員数が劇的に増加し、ホームアリーナ「ヘミスフェア・アリーナ」も熱気に包まれる。
チームはABAで競争力のある成績を残し、**「地元ファンとともに歩むチーム」**というイメージを確立。
これにより、当初の“レンタル”は正式な**恒久移転(1974年)**となり、ダラス・チャペラルズは歴史から姿を消す。
🏛️ ABAからNBAへの統合(1976年)
スパーズの名が全米に広がる最大の転機は、1976年。
ABAが経営難により解散されるなか、4チーム(スパーズ、ナゲッツ、ペイサーズ、ネッツ)がNBAに吸収合併される。
スパーズは新参ながらも高い競争力を維持し、すぐにプレーオフ常連の地位を確立。
当初は「地域色が強く、全米ブランドにはなれない」との懸念もあったが、ディフェンスとチームプレーを重視する哲学で強豪の座を守り続けた。
📝 創設にまつわるトリビア&秘話
📎 **元々ダラスのオーナーたちは「1年で戻すつもりだった」**が、サンアントニオの熱狂ぶりを見て手放すことに。
📎 チームカラーも当初は赤・白・青だったが、サンアントニオに定後、黒・銀を基調にした渋いカラーに変更。
📎 「スパーズ」のロゴは、最初から“Uの字が拍車”というデザインを守っており、ABA時代の名残を今も継承している。
創設後の発展
🔵 1970年代(1976):ABAからNBAへと羽ばたいた「スパーズ」
1976年、ABAとNBAの合併により、サンアントニオ・スパーズはNBAへの正式参入を果たしました。当時のチームは、得点力に優れた名スコアラー、**ジョージ・ガービン(“アイスマン”)**を中心に構成されており、ABA時代の華やかさをそのまま引き継いでNBAに挑戦。流麗で個人技を活かしたオフェンシブなスタイルは、多くのファンを魅了しました。参入初年度からプレーオフに進出するなど、新たな勢力として存在感を確立。テキサス南部に根ざすNBA球団として、独自の文化とスタイルを築き始めました。
🔵 1980年代:個人技からチームへ、栄光と苦闘の狭間で
1980年代は、ガービンを中心としたオフェンス力でレギュラーシーズンでは好成績を収めるものの、プレーオフでは苦戦が続いた時代でした。1981年、アーティス・ギルモアの加入によりインサイドも強化されるが、カンファレンス決勝の壁は厚く、優勝争いには届かず。1985年のガービン引退後、チームは再建期へ。1987年にはデビッド・ロビンソンを全体1位で指名するも、海軍勤務のため2年間プレーできず、チームは低迷。しかし、これは後の“黄金時代”への布石でもありました。
🔵 1990年代:ロビンソン時代の躍進と「ツインタワー」体制の誕生
1990年代前半、ついにロビンソンがチームに合流。“海軍士官候補生”の異名を持つロビンソンは、攻守に圧倒的な存在感を示し、MVPや得点王を獲得するなど個人としても大活躍。チームも再びプレーオフ常連に返り咲くが、優勝には手が届かない年が続く。そして1996–97シーズン、ロビンソンが負傷離脱しチームは大きく低迷。その結果、翌年のドラフトでティム・ダンカンを1位指名。1997年からは、“ツインタワー”(ロビンソン+ダンカン)体制がスタートし、1999年には初のNBA優勝を達成。新たな王朝の幕開けとなりました。
🔵 2000年代:ダンカンを中心とした“スパーズ・ダイナスティ”の確立
2000年代は、ティム・ダンカン、トニー・パーカー、マヌ・ジノビリの「ビッグ3」を軸に、スパーズ王朝が築かれた時代。グレッグ・ポポビッチHCのもと、堅守と規律あるオフェンスで常に優勝候補に。2003年、2005年、2007年と10年間で3度の優勝を果たし、“勝者の文化”を徹底的に体現した存在となりました。地味だが隙のない戦術、国際色豊かなメンバー構成も特徴で、リーグにおいて独自の地位を築きました。華やかさではなく、完成度と組織力で勝つチームの象徴として、多くの尊敬を集めました。
🔵 2010年代:進化するバスケットと5度目の栄光
2010年代に入っても“ビッグ3”は健在。2013年にはファイナルでマイアミ・ヒートに惜敗するも、翌2014年は見事リベンジ。若きカワイ・レナードの台頭と、チーム全体での華麗なパスワークを武器に、再びNBAチャンピオンに輝きました。この優勝は“最も美しいチームバスケットボール”と称賛され、全盛期のスパーズを象徴する完成度の高さを見せつけた瞬間でした。その後、ビッグ3は順に引退・移籍し、チームは若返りと再編の時代へと移行します。
🔵 2020年代:再建と新たなる未来への布石
2020年代は再建期に突入。カワイ・レナードの移籍以降、プレーオフからも遠ざかるが、2023年にはフランス出身の超逸材、ヴィクター・ウェンバンヤマを全体1位指名。身長224cmにして驚異的な運動能力とスキルを併せ持つ“ユニコーン”は、スパーズに新たな希望をもたらしている。ポポビッチ体制は継続中であり、歴史と哲学を受け継ぎながら、次世代のスパーズとして新時代のスタートを切っている最中です。
永久欠番
| 番号 | 選手名 | 主な功績 |
|---|---|---|
| 00 | ジョニー・ムーア | 1980年代の司令塔。病気からの復帰も話題に。 |
| 6 | エイブリー・ジョンソン | 1999年の初優勝時の正PG。クラッチショットで貢献。 |
| 9 | トニー・パーカー | フランス出身のPG。4度のNBA優勝、2007年ファイナルMVP。 |
| 12 | ブルース・ボウエン | 鉄壁のディフェンダー。3度の優勝に貢献。 |
| 13 | ジェームズ・サイラス | ABA時代から活躍したスコアラー。 |
| 20 | マヌ・ジノビリ | アルゼンチン出身のSG。4度の優勝、ベンチからの貢献で有名。 |
| 21 | ティム・ダンカン | 5度のNBA優勝、2度のMVP。スパーズの象徴的存在。 |
| 32 | ショーン・エリオット | 1999年の優勝メンバー。腎臓移植からの復帰も話題に。 |
| 44 | ジョージ・ガービン | 「アイスマン」の異名を持つスコアラー。ABA・NBA通じて活躍。 |
| 50 | デビッド・ロビンソン | 「海軍士官候補生」。2度の優勝、1995年MVP。 |
チームロスター
| 番号 | 名前 | 国 | 身長 | 体重 |
|---|---|---|---|---|
| 0 | ケルドン・ジョンソン | USA | 196 | 100 |
| 1 | ビクター・ウェンバンヤマ | FRA | 224 | 95 |
| 3 | クリス・ポール | USA | 183 | 79 |
| 4 | ディアロン・フォックス | USA | 191 | 86 |
| 5 | ステフォン・キャッスル | USA | 198 | 98 |
| 7 | デビッド・デューク・ジュニア | USA | 193 | 93 |
| 10 | ジェレミー・ソーハン | POL | 203 | 104 |
| 11 | ジョーダン・マクラフリン | USA | 183 | 84 |
| 14 | ブレイク・ウェスリー | USA | 193 | 84 |
| 18 | ビスマック・ビヨンボ | COD | 203 | 116 |
| 22 | マラカイ・ブランナム | USA | 193 | 82 |
| 24 | デビン・バッセル | USA | 196 | 91 |
| 27 | ライリー・ミニックス | USA | 201 | 104 |
| 28 | チャールズ・バッシー | NGA | 206 | 104 |
| 30 | ジュリアン・シャンパニー | USA | 201 | 98 |
| 40 | ハリソン・バーンズ | USA | 203 | 102 |
| 54 | サンドロ・マムケラシュビリ | GEO | 208 | 109 |
| 55 | ハリソン・イングラム | USA | 198 | 107 |
チームスタッフ
ヒューストンロケッツのスタッフ(2024年時点)
■ 経営・フロントオフィス
ジュリアナ・ホーン・ホルト(最高経営責任者)
ケイシー・ヘヴァリング(副社長)
ブライアン・ライト(ゼネラルマネージャー)
デイブ・テレップ(バスケットボール運営部門 副社長)
フィル・カレン(バスケットボール運営・スカウティング戦略担当ディレクター)
ゲイブ・ファーカス(バスケットボール分析ディレクター)
デビッド・カプラン(バスケットボール分析ディレクター)
ボビー・ペレス(法務顧問兼副社長)
トム・ジェームズ(コミュニケーション部門 副社長)
■ コーチングスタッフ
グレッグ・ポポビッチ(ヘッドコーチ兼バスケットボール運営部門代表)
ミッチ・ジョンソン(アシスタントコーチ)
マット・ニールセン(アシスタントコーチ)
ブレット・ブラウン(アシスタントコーチ)
マイケル・ノイズ(アシスタントコーチ/選手育成ディレクター)
ジミー・バロン(シューティングコーチ)
キャンディス・デュプリー(選手育成コーチ)
ジョシュ・ブラノン(選手育成コーチ)
ダリウス・ソンガイラ(選手育成アシスタント)
マディソン・クローワー(選手育成コーディネーター)
■ パフォーマンス・メディカル
カルロス・ソサ・マリン(アスレティックパフォーマンスコーチ)
コーディ・ハマネ(アスレティックパフォーマンスコーチ)
ギヨーム・アルキエ(アスレティックパフォーマンスコーチ)
ケイト・ザウアー(アスレティックパフォーマンスコーチ)
ライアン・カーティス(パフォーマンスコーチ/スポーツ科学ディレクター)
ウィル・セヴェニング(ヘッドアスレティックトレーナー)
アンソニー・ファルソン(ストレングス&コンディショニングコーチ)
ブランドン・ボウマン(アシスタントアスレティックトレーナー)
ガイ・ニコレット(スポーツ医学ディレクター)
■ チームドクター・チームフィジシャン
デビッド・シュミット(チームドクター/フィジシャン)
エリオット・ヤング(チームドクター/フィジシャン)
ポール・サエンツ(チームドクター/フィジシャン)
リチャード・ステフェン(チームドクター/フィジシャン)
■ 映像分析・スカウティング部門
ジョン・ハリス(アシスタントビデオコーディネーター)
ライアン・オリバー(アシスタントビデオコーディネーター)
ケニー・トレビーノ(ヘッドビデオコーディネーター)
マーク・フライディンガー(スカウト)
デイブ・トワージック(スカウト)
ジョン・ロビック(スカウト)
ロバート・ジャクソン(スカウト)
クリス・グラント(プロスカウト)
キーオン・ワイズ(プロスカウト)
ファン・ジャネーザ(インターナショナルスカウト)
ブライアン・パラッツォロ(パーソネルスカウト)
レジー・ハーン(パーソネルスカウト)
クラウディオ・クリッパ(インターナショナルスカウトディレクター)
ジョージ・フェルトン(カレッジプレーヤーパーソネルディレクター)
■ チームオペレーション・セキュリティ・その他
コーリー・ジョンソン(チームオペレーションディレクター)
スコット・マッカートニー(チームセキュリティディレクター)
ダミアン・スミス(チームセキュリティディレクター)
ローレンス・ペイン(エグゼクティブ副社長)
ダニー・フェリー(バスケットボールオペレーションコンサルタント)
チームサラリー表
保有ドラフト指名権
🔹2025年ドラフト
1巡目指名権:
スパーズ自身の指名権(ロッタリー)
・1位:6%、2位:6%、3位:7%、4位:7%、8位:35%、9位:32% の確率。
アトランタ・ホークスの指名権(ロッタリー)
・1位〜4位:各1%未満、13位または14位で受け取る可能性が非常に高い(96%以上)。
2巡目指名権:
スパーズ自身の指名権(#38)
🔹2026年ドラフト
1巡目指名権:
スパーズまたはアトランタの指名権(スワップ可能)
・ただし、アトランタの指名権はクリーブランドに譲渡される可能性あり。
2巡目指名権:
より有利なものを取得:
スパーズ、インディアナ、マイアミの中で「(i)スパーズ」と「(ii)インディアナとマイアミのうち不利な方」と比較し、より有利なものを取得。
OKC、ダラス、フィラデルフィアのうち最も不利な指名権(→マイアミ経由)。
ニューオーリンズとポートランドのうち不利な方(→スパーズへ)。
ユタ(#31〜#55)の指名権(→ミネソタ経由)
🔹2027年ドラフト
1巡目指名権:
サクラメントへ譲渡済み
アトランタの指名権を保有
2巡目指名権:
より有利なものを取得:
「スパーズ」と「OKC・HOU・IND・MIAのうち最も不利なもの」を比較し、有利な方。残りはマイアミへ。
🔹2028年ドラフト
1巡目指名権:
スパーズ自身の指名権(ただし、ボストンの1巡目指名権2〜30位とスワップ可能)
2巡目指名権:
スパーズ、ミネソタ、ニューオーリンズの指名権
ボストン(31〜45位)※ボストンが1位を持っている場合に限る
🔹2029年ドラフト
1巡目指名権:
スパーズ自身の指名権
2巡目指名権:
スパーズ自身の指名権
ロサンゼルス・クリッパーズ(→フィラデルフィア経由)
ニューオーリンズの指名権
🔹2030年ドラフト
1巡目指名権:
サンアントニオ、ダラス、ミネソタのうち最も有利または有利な2つを取得。
最も不利なものをダラスへ。
ミネソタとスワップが発生する可能性あり(ダラスまたはサンアントニオのうち有利なものと)
2巡目指名権:
スパーズ自身の指名権
クリーブランドの指名権
🔹2031年ドラフト
1巡目指名権:
スパーズ自身の指名権またはサクラメントとスワップ可能
2巡目指名権:
スパーズ自身の指名権
サクラメントの指名権
ドラフト指名権参考サイト
https://basketball.realgm.com/nba/draft/future_drafts/team



